COLUMN
2023.10.03
vol.518「36年間乗り続けた絶版車とさよならしました」
赤塚 壮一(総務部)
こんにちは、総務の赤塚です。
約7年前のこのコラムで、私が約30年間も同じ中型バイクに乗り続けてきたことについて書きました。中古1年落ちで購入、37年間の歳月で「深み」と「渋み」という魅力と風格を身につけ、最近の旧車ブームの中で今では注目を浴びる存在となった、当時はあまり人気のなかったバイクです。
では、なぜ私はそのバイクに「さよなら」を告げる決断を下したのでしょうか?それは、バイクは乗ってこそバイクであり、私にとっては飾って眺めるためのものではないからです。加えて、交換用部品や代替部品の入手がますます難しくなり、バイク店のメカニックたちにも見限られるようになっていました。ついには、私のバイクは博物館の展示レベルになったのかもしれません。自分で修理するスキルを持たない私にとって、そのバイクを維持することはもはや不可能でした。
バイクを売却する際、いくつかの買取店を訪れました。ある店員さんは、「数年前ならば値段がつかなかったでしょうが…」と言いました。結局、37年間における物価の変動を無視すると、新車販売価格の約1/3で下取りしてもらうことになりました。
新車当時はレプリカブームでした。私のバイクは400CCクラス最軽量の153kg。前期規制値の59馬力を叩き出し、こちらもクラストップの出力のエンジン。加えてセパレートハンドルにモノサスペンション装備と性能面では相当のスペックです。
しかし、不人気だったこのバイクが私の愛車です。もし私が高回転域での運転スキルを持っていたら、このバイクをさらに楽しむことができたでしょう。しかし惜しいかな、残念ながら私にはその腕も度胸もありませんでした。
バイクを買取業者に売却する前に記念写真を撮りました。「36年間も付き合う車両は、私の人生ではもうないな…」と考えると寂しさがこみ上げました。娘を嫁に出すとき、こんな気持ちなのかなぁと思いましたが、実際には娘はいないのでわかりません。
美ヶ原高原ホテルでの夜。青空の下で駆け抜けたビーナスライン。荒涼とした浄土平。真夏の信号待ちでオーバーヒートして緑の冷却水が溢れ出し、交差点で両手を挙げて後続車に停止合図した三条須頃(三)南交差点(あー恥ずかしかった)。そして、私の力量不足からあっという間に地元ナンバーの50ccバイクに追い抜かれた旧国道18号線の碓氷峠…。
みないい思い出です。36年間、本当にありがとう。